堪能できる〈モーター・スポーツ最大の祭典〉らしさ
本盤の価値のひとつは、この年のレースにも参加したグラハム・ヒルの、解説役での出演。
90年代の人気F1ドライバー、デイモン・ヒルの父親ということで、僕ですら存在を知っていた人。F1、ル・マン、インディ500の〈世界三大レース〉全てに優勝した記録を持つドライバーは、彼だけらしい。
「スタートの合図とともに興奮してしまい、自分の車に乗るのでさえうまくいきません。ドアをうまく開けられなかったり、乗り込んでハンドルの真ん中に足を突っ込んでしまうことはよくあることだし、混乱してしまって、シフトレバーをズボンの裾にひっかけて車を立ち往生させることもよくあります」
「みんな、車に走り込むから、心臓はドキドキするし、呼吸はハアハアするし、普通では考えられないようなトラブルが起こるわけです」
文字に起こしたのは、式場によるボイス・オーバーだが、ヒルのコメントの音声も残っている。スタート時のドライバーがいかにテンパるものか、飄々と、時折クスッと笑いながら語る声は魅力的で、ユーモアを好む紳士だったという人物評が納得できる。
それにしても、ヒルが出演とは、かなりゼータクだ。
クレジットに「構成・制作:ヒュー・メンドル/録音:アーザー・バニスター」とある。ヒュー・メンドルって、音楽のほうで聞いた名だぞ……と、調べてみるうち内訳が分かった。
本盤の日本での発売元はキングだが、レーベルはロンドン。ロンドンはイギリスの大手レーベル、デッカが(商標上の理由で)アメリカや日本で販売する時の名称だった。で、そのデッカのプロデューサーだったのがヒュー・メンドル。
つまりこれ、デッカが作ったレコードの、ナレーションのトラックだけ差し替えた日本版なのだ。それで、英国人レーサーのヒルがフィーチャーされている。
(もとのレコードである『Le Mans ‘66』は、YouTubeに分割してアップされている。興味ある方、検索してみてください)
原盤はイギリス制作だと分かり、ますます腑に落ちたのが〈ル・マンは最高のレースであると同時に、現代ヨーロッパの祭典である〉という視点だ。
パリから約200キロ離れた古い商工業の街に、毎年6月になると数万人が集まる。公道もサーキットに利用したレースが土曜の夕方から日曜の午後まで行われる間、周囲には、人々を飽きさせないよう露店や射的場、プロレスのリングまで立ち並ぶ。そんな雰囲気まで味わってこそのル・マンである、という。
実際、カフェの周りを録音したシークエンスのガヤガヤ、ワイワイした雰囲気は楽しい。
僕は語学力ゼロなので、外国語を聞いても意味に頓着せず、サウンドとして捉えるクセになっている。だから、おじさんたちがあちこちで喋っている声、スピーカーから聞こえるレースの実況、どこかの店から流れてくるBGMが、ひとつの塊になっているようすに、お祭りの夜を描いた印象派の絵画を見ているような気分になる。そんな中から、『勝手にしやがれ』(59)のジーン・セバーグのように「New York Herald Tribune!」と、少し訛った英語で新聞を売る娘さんの声が聞こえてくる。
目先の勝ち負けにこだわっていない良さ
レースの、フェスティバルとしての側面も大事にしている構成内容は、とても新鮮に感じられる。今はどんなスポーツでも、競技としての勝敗に目が向きがちだ。スポーツも文化だってところまで気が回らない。そういう流れになっている。
ル・マンはなぜ、2人のドライバーが交代で、平均時速200キロのまま24時間ぶっ通しで走り続ける「世界一過酷なレース」なのか。それがスポーツカーの耐久性、性能を限界まで試すのに必要なテストでもあるからだ。
メーカーは、どんな手を使ってでも表彰台に上がるぞ!よりも、負けようとも、市販モデルを改良するためのヒントを得られたほうが収穫だと考える。ここらへんの余裕がまだ残っているから、昔のモーター・レースはモダンに感じられるのだろう。
とはいえ、やや皮肉なことに、66年のレースはひとつの分岐点になった。
60年から65年まで6連覇し、この年も圧倒的な優勝候補だったというフェラーリが、フォードに敗れたのだ。66年はアメリカ車が初めてル・マンで優勝を飾った年になった。
その数年前、世界最高のブランドだったものの経営難に陥っていたフェラーリに、フォードが買収を提案、調印寸前で断られていた。屈辱を味わったフォードは、打倒フェラーリにかなり燃えたらしい。
本盤は、レースが終わった途端、アレッとなるほど、余韻も無く終る。
優勝ドライバー、ブルース・マクラーレンとクリス・エイモンを讃えつつ(インタビューも聞ける)、アメ車にル・マンで勝たれてもなあ……って当時の感じが、そこはかとなく伝わる。
政治・経済・娯楽で大きくリードしながら、なおヨーロッパの地で勝ちたいアメリカ人の感情も含め、当時のル・マンのようすを知るのに格好な映画は、70年のレースをたっぷり撮影した『栄光のル・マン』(71)。自身もレーサーだったスティーブ・マックイーンが、自分のプロダクションで気合を入れて作ったもの。日本では大ヒットした。僕より年上の男性には、大好きって人が本当に多い。実際、史上最高のレース映画はと問われたら、未だにこれを挙げればまず間違いない。
まあ、でも。サーキットの風景はどんなか、どんな形状のマシンが走っているのかを映画で確認せず、ジャケットの写真のみを手掛かりに、勝手に想像しながら聴くのもいいものです。
そうして、〈具体的なイメージを確定できない走行音〉を何度も聴いているうち、あることに気づいた。これは、レースの映像じゃないところでも耳にしているぞ。
ひょっとして……と、奥に仕舞ったDVDを探し出し、確認した。
見たのは『スター・ウォーズ』(77年初公開)。いろいろ修正されて、現在のタイトルは『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』。
反乱軍の戦闘機であるXウイングと、帝国軍のTIEファイターがチェイスする宇宙戦の場面。注意してよく聞くと、飛行音が別々に作られている。Xウイングはジェット機の音がベースだとすんなり分かるのだが、TIEファイターは少し変わっている。車の走行音そっくりなのだ。実際のジェット機は、TIEファイターのように急カーブで曲がれない。そういう箇所で、コーナーを回る音などを活かしているのでは?
TIEファイターについては実際に車の音を使った、いや、動物の鳴き声を録り回転数を遅くした、またはそれをミックスした、と諸説ある。しかし、音響担当のベン・バートがこさえた音にOKを出したのは監督のジョージ・ルーカスで。
よく知られる通り、十代の頃のルーカスは、自分でカスタマイズしたフィアットで草レースに出るスピード狂だった。宇宙での戦闘機の飛行音にスポーツカーっぽさを取り入れる斬新さは、ボディにわざわざ油っぽい汚しを(それこそ耐久レースを走るマシンのように)入れる執着的アイデアともども、モーター・マニアの実感と考えると、すごく納得できる。
ル・マンのレコードを聴いてるうち、『スター・ウォーズ』の音響に目が、もとい、耳が行っちゃった。こんな飛躍で遊べるのも、聴くメンタリーの良さです。
※盤情報
『栄光への爆走 〈1966年仏ル・マン24時間レース〉』
1967年/2,000円(当時の価格)
ロンドン/発売元:キング
【ワカキコースケ(若木康輔)】
1968年北海道生まれ。本業はフリーランスの番組・ビデオの構成作家。07年より映画ライターも兼ね、12年からneoneoに参加。カウンタックにル・マンと〈走行音もの〉が続き、おそらく生まれて初めて、自動車の歴史について勉強しました。存在感あるんだなーと改めて分かったのはフェラーリ。戦後、農業トラクターの生産で成功したランボルギーニを、レースマシンより速い高級車=スーパーカーに進出させた動機も、フェラーリへの強烈なコンプレックスだったそうです。それに、66年ル・マンで優勝したブルース・マクラーレンがもともと仲間と作ったチームが、現在のF1の名門、マクラーレンだってんだから。レースの世界も、覗いてみると面白いですね。
http://blog.goo.ne.jp/wakaki_1968
【2月のイベントの報告】
連載を1回休んで、2月に新宿で行いました「DIG!聴くメンタリー」のイベント版、「ワカキコースケのレコード墓場」。ギリギリまで、誰も来ないんじゃないかと本気で心配したのですが、おかげさまでなんとか、最初にしてはまずまずといったところまで漕ぎつけました。
ご来場頂いた方、ありがとうございました!
この連載で紹介した盤を初めとした聴くメンタリーのいろいろ、おおむね楽しんで頂けたと思います。
しかし、お客様のなかには大変な猛者がいましてね。戦前レコード文化研究家の保利透さんがいらしてくださった。初対面の挨拶をしたら、「いやー、刺激になりました。僕も戦前の聴くメンタリーやろうかな。山本五十六の葬儀の実況とか、いろいろあるんですよ」
やっと小料理屋を開店したら、海原雄山が味見に来た、みたいな。汗かいたよ。
本業の仕事仲間・西山さんも。ビニール・ジャンキーの片鱗を小出しにする人ではあったんですが、
「若木さん、1978年にビクターから出た『衝撃のUFO』は当然お持ちでしょう。え、知らない? それは困りものですねェ」
って。みなさんいきなり、ギア上げ過ぎだ。
もう、あれ。ゾンビものや終末SFの漫画や海外ドラマって、主人公が(地上にはもう俺しか生きてる人間はいないのか……)と廃墟をさまよううち、1人、2人と生存者に逢い、安堵するのも束の間、すぐ力ずくの勢力争いに巻き込まれちゃうでしょ。体感的には、完全にあれ。
聴くメンタリーの需要人口は、少ないけどいる。しかし濃度がかなり高いと分かりました。謙遜抜きで、僕はこの道ではまだビギナーだ……。(いずれ保利さん主催のイベントには伺い、勉強させてもらいます)